F ジョージ・Nの♪音楽と釣りのブログ
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Blog of George・N's music and fishing.

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音楽が音楽以上のものであった時代

以前、アメリカのニューズウィーク誌に「BEATLESは、音楽が音楽以上のものであった時代があったことを教えてくれる」との記事が掲載された。合わせて「BEATLESは、よい音楽が商業的に成功した最後のアーチストであった」とも書かれていた。
このニューズウィークでの記事は、BEATLESの音楽が当時の多くの人たちに、音楽以上のものとして深く浸透していたことを物語っている。これは逆の見方をすれば、当時の社会はBEATLESのような“よい音楽”を抵抗無く感じとれる“ピュアーな感性と心をもった大人たち”が主流を占めていたとのことになる。

BEATLESやPresleyが出現する以前、人生の喜びや悲しみなどを音楽によってあらわした、ミュージカル映画が全盛の時代があった。「人生は音楽と共にあった」古きよき時代である。
現代では、音楽は音楽だけのものとなり、多くの人たちにとっては、音楽は単なる趣味の中の一つのものとしての価値だけしかない。 ただ、今も昔も『人間の本質』は変るものではない。

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よい音楽とは、「よりBEATLESに近い音楽」「人の心を豊かにするもの」

ビートルズ02

今、自分は約1400枚のCDを持って数多くの曲を聴いているが、「よい音楽とは、よりBEATLESに近い音楽である」との自分としての明確な定義を持っている。
BEATLESの音楽は人間の根底にある心に深く浸透するもので、BEATLESでなくてもBEATLESと同様の優れたアーチストたちの曲は数多くある。
よい曲からは、人間の心へ響く“よい気”が伝わってくる。
また、BEATLESは世間一般的にはロックとされているが、YesterdayやIn My Lifeなどの曲がロックである訳がなく、これらの曲に限らず、ポピュラーの領域となるBEATLESの曲は多い。
年を重ねるごとに、いろいろな音楽要素を取り入れて進化していったBEATLESの曲には多くのジャンルの要素が含まれており、もともとロックという一つの領域だけに留まるものではない。

以前、ボーカルスクールに通う仕事場の同僚が「BEATLES風の作曲」を学校の課題で出されて、BEATLESの曲のコード進行をそのままパクって、これがBEATLESだと言っていた記憶があるが、コード進行やハモリなど、表面的な曲調を真似したところで、BEATLESの曲を表わすことはできない。
人間の根底にある心を捉え、それを表現することができなければ、BEATLESの曲とは成らない。
音楽に限らず、よいものは一面から見れば非常にシンプルであり、人間の精神(心)の奥底に抵抗なく浸透していき共鳴し、魂を揺さぶり、それを受ける人間に対して「生きているすばらしさ」を再確認させてくれる。
我々BEATLESマニアがBEATLESを人生として、宗教として置く理由はここにある。

音楽は音と音の調和により、人の心を豊かにするものでなくてはいけない。

10年ごとに偉大なアーチストが誕生

Elvis02

音楽の世界では10年ごとに、音楽の領域を越え、世界中の文化や思想などに影響を及ぼす偉大なアーチストが誕生すると言われている。
1930年代のBing Crosby、40年代のFrank Sinatra、50年代のElvis Presley、そして、60年代のBEATLES、60年代までは広く世界中の人たちに大きな影響を及ぼした、歴史に残るアーチストたちがいた。
70年代に入りロックの全盛期となり、Led ZeppelinやDeep Purpleなどが活躍し、長髪族の若者の間ではカリスマ的なグループとなったが、PresleyやBEATLESのように、世代(時代)や国境を超えて、すべての人たちに受け入られる“ポピュラーなもの”とはならなかった。



Elvis Presley 1977年ラスベガスライブ「Unchained Melody」

Presleyが死の直前、全身全霊をかけ熱唱するこのライブから、Presleyの“音楽にかけた人生のすべて”を感じとることができる。
Presleyの人生を語るこの一曲は、私たちの心の奥底に深く浸透し、共鳴し、魂を揺さぶり、「音楽のすばらしさ」「生きているすばらしさ」「人間の魂の不変性」を再確認させてくれる。

※「Unchained Melody」は、1990年のアメリカ映画、「ゴースト ニューヨークの幻」の主題曲(Righteous Brothers)でも使われ、大ヒットした歴史に残る名曲 
1955年 ハイ・ザレット作詞/アレックス・ノース作曲

おたくとマニア

一般的に、『おたく』と『マニア』は同義語とされている。ただ、辞書の意味は別として、自分の言葉の定義としては、おたくは「自分の内だけに留まるもの、物事を非常に限られた狭い捕らえ方しかせず、社会(他の人)に対して有用性をもたない知識を集めて自己満足しているだけでの人間」であると考えている。
対してマニアは「広く外に向けて、自分の得意な分野として持つ有益な知識(情報)や経験を広く大局的に捕らえて、多くの人たちに自分のもつよりよいものを広め役立たせることを目的として、その根幹にある精神を啓蒙していく人間」だと考えている。
自分はBEATLESマニアとして、より多くの音楽に触れ、自己満足だけの単なる知識のひけらかしではなく、自分がいま持つ知識をツールとして、不変なものとしてのBEATLESの音楽、多くのすばらしい音楽を、多くの人たちに広めていきたいと考えている。

映画『Across the Universe』

以前、BEATLESの曲を使ったミュージカル映画、『アクロス ザ ユニバース』を観た。
この映画は、観る人すべてが“全身全霊でBEATLESの音楽を楽しめる”映画と評することができる。
映画を観ていると、この映画の制作に関わったすべてのキャスト・スタッフたちが、BEATLESを正しく理解し、愛しているということがよく伝わってくる。

BEATLESの曲と映像が無理のない自然なかたちで同化し、並行して展開してく。
特に、4曲目からの「I Want to Hold Your Hand」~「With a Little Help from My Friends」~「It Won't Be Long」~「I've Just Seen a Face」へのスピーディーな展開には、大変に感激した。映像と音楽を完全に並行させたスピーディーな盛り上がりは、知らず知らずのうちに観客を映画の中に同化させてしまうマジックである。自分は、目の前に広がるスクリーンにくぎづけにされ、流れるBEATLESの曲を無意識のうちに口ずさんでいた。
その中でも、「With a Little Help from My Friends」の場面は最高だった。曲の根底を崩さず、よくここまで楽しく編曲できたかと思うすばらしいアレンジである。とくに、ギターの裏の入り方がすばらしい。曲のコンセプト・展開に完全に同化したキャストのエキサイティングな演出も、大変によかった。この曲を歌ったRingoも観たら、大喜びで拍手を送るだろうと思うすばらしい場面であった。

なぜここまで感激できたのだろうか?この映画の魅力をあらためて考えてみた。
サントラを聴き直してみると、それぞれの曲を歌うキャストたちが、BEATLESの曲の根底を忠実に守り、実に素直に歌い表現して、“BEATLESマジック”を再現させている。
それぞれの曲を歌うキャストが、BEATLESの曲を正しく見極め、自分の役にピッタとリとマッチさせ、演出している。
BEATLESの曲の大きな特徴である、輪唱・ハモリ・コーラスなども原曲とおりに入れられおり、各キャストが、BEATLESの曲をよく聴きこみ、また、BEATLESの映像もよく観ていることが分かる。
また、曲の詩を各場面のストーリーにうまくマッチさせ、BEATLESの詩によって各キャストのセリフを成り立たせている脚本も見事である。自分としては、普段はほとんど意識することなく聴く“詩の意味”を、あらためて字幕で見て確認することができた。

各場面へのそれぞれの選曲も、ほぼ適切だったと思う。ただ、暴動のシーンで黒人の少年が歌う「Let It Be」は、唯一、ミスマッチなような気がした。ゴスペルやソウルにアレンジしやすい「Let It Be」は、黒人のアーティストにとってはハマリ曲となるが、BEATLES解散間際の曲となり、宗教的なコンセプトをも含むこの曲は、BEATLESマニアとしては、終わりの方の場面で持ってきてもらいたい感じが強い。
また、Johnの名曲、「In My Life」が、なぜ使われなかったかと思う。
映画「フォー・ザ・ボーイズ」の中でBette Midlerが歌う「In My Life」の印象が強いのかしれないが、人生を歌うこの曲は、悲惨な争いを語る場面には、BEATLESの曲の中では一番適していると考えられる。暴動か墓地の埋葬での場面で使われていたらよかったのにと思った。
BEATLESして最後のライブとなる映画「LET IT BE」の屋上でのライブを再現した、「All You Need Is Love」のエンディングは、実に実に見事な演出である。場面、曲の選択(コンセプト)とともに、大変に美しい終わり方であった。

一般的に、どのような映画でも落ちる(面白くない)ところがあるものだが、この『アクロス ザ ユニバース』は、どの場面においても、それぞれの感激が満ち溢れている。BEATLESの曲を材料とした映画の中では、『I am Sam』以来の秀作である。
BEATLESファンは当然のこと、BEATLESをあまり知らない人たちにもぜひ観てもらい、BEATLESの曲のすばらしさを知るきっかけとなってほしい映画である。

この映画はBEATLESの解散から38年たった今(映画公開は2008年)も、BEATLESを理解し愛している人たちが大勢いることを再確認させてくれた。
この映画を観た多くの人たちと“BEATLESを共有し、感激できたこと”は、自分にとっての大きな喜びとなった。

※曲だけ(映像はイメージ)


※ラストシーン


アクロス ザ ユニバース『All You Need Is Love』
2007年製作のミュージカル映画 監督:ジュリー・テイモア

40㎝超のアイナメです!

横浜防波堤 アイナメ

アイナメ
以前、横浜の防波堤に行ったときの釣果です。

祝 BEATLES来日記念 1966年6月29日

BEATLESは、今から44年前の1966年6月29日に来日して、30日~7月2日の間、日本武道館で計5回の公演を行った。
今でこそ当たり前となった武道館での外人アーティストの公演も、このBEATLESが初めてであったため、当時の首相であった佐藤栄作、武道館の館長(読売新聞社主)の正力松太郎や、多くの右翼系の著名人たちからは、「神聖なる日本武道館で、西洋のコジキ芸人(ロックバンド)が演奏するなどはとんでもない」などという意見が多数出されていた。
BEATLES来日の記録映像では、熱狂するファンと合わせて、街頭で装甲車から赤尾敏が「BEATLESは帰れ」などと叫んでいる様子や、物々しく警備する多数の警官を見ることができる。
約3万5千人の警備員と機動隊が警備のために出動し、警備の関係上、武道館の公演では1階(現在でのアリーナ席)には観客を入れなかった。
この後に出されたBEATLESのアルバム「REVOLVER」の名称は、来日時の物々しい警備の中で、日本の警官が携帯していたリボルバー式の拳銃を見て、Paulがつけたといわれている。
前座として、内田裕也やドリフターズなど日本の7のアーティスト(バンド)が演奏したが、冗談の領域を超えているものはひとつもなかった。
首相や著名人と呼ばれていた連中の発言や前座の演奏などをみれば、当時の日本がいかに遅れていたかがよく分かる。

混乱と騒然の中で行われた、ただ一度のBEATLES日本公演は、日本の音楽史に残る(昭和史も含めて)神聖で記念すべきものとなった。


映画 『Sound of Music』を観て

ロバート・ワイズ監督、ジュリー・アンドリュース主演のミュージカル史上最高の名作『Sound of Music』を楽天レンタルで借りて観た。ほとんど記憶にないが、この映画を観たのは多分、数十年ぶりである。
Sound of Musicは映画館をはじめとして、テレビでも数回は観ているはずだが、ところどころ思い出に残っていたシーンは何箇所かあったが、ほとんど忘れていた。
音楽の方は、サントラ版をよく聴いているので完全に覚えているが、各曲でのシーンが頭の中に薄っすらとあったものと、かなり違っていた。
また、自分が持っているサントラ版に収録されていない曲 (テイク)が数曲あつたことは驚きだった。多分、初版の物が販売された当時は、一部の曲に著作権の問題があったのであろう。AMAZONで調べてみたところ、現在、販売されているCDには、輸入版も含めて映画の中のすべての曲が収録されているようである。

数々のミュージカルの名曲を生み出した、名作詞・作曲コンビ、オスカー・ハマースタイン2世とリチャード・ロジャースによるこの映画の中の各曲は、どの曲も大変にきれいなメロディーですばらしい。その中でも特に「Do-Re-Mi(ドレミの歌)」は、今や世界中の子どもたちに歌われているポピュラーソングの定番となっている。
Sound of Musicは映画、音楽ともに、後世に永遠と語り伝えられていくべき、20世紀最高峰の人類遺産のひとつと言えるであろう。

オープニングシーンでの、アルプスの美しい山々と草原、湖など、広大なる自然を包み込む、ジュリー・アンドリュースが歌うこの映画のテーマ曲『Sound of Music』は、人間が持つピュアで美しい心、感性を最大に現し、この映画のコンセプトを完全に網羅している。
観る(聴く)人に対して何の違和感を持たせることなく、その曲がもともとそこの自然の中に存在していたごとく、映像(自然とジュリー・アンドリュース)と音楽を完全に一体化させ、アップした作法は実に見事であり、それを観る人の心を魅了する。
今の時代から見れば簡単なものであろうが、この映画が製作された1965年の映画水準や機材などから考えれば、この導入シーンは当時にしてみれば、非常に斬新な試みであったであろう。ロバート・ワイズが歴史に残る名監督のひとりとして挙げられていることがよく分かる。

ストーリーは、実話に基づいているものとはいえ、単純なものである。この単純でシンプルさのゆえ、各曲での各シーンがより際立ち、より自然に感動できるストーリーが展開していくのであろう。この映画は、各登場人物の気持ちから、「自然に歌(曲)が生まれ、自然にストーリーが展開していく」というミュージカルの真髄を、それを観る人へ素直なかたちで教えてくれる。
映像的には古いものであるという感じは否めないが、導入されている各曲はいま聴いても、古さをまったく感じさせない。これは人間が持つよい感性はいつの時代でも変わらない、よいものは時を超越して後世に永遠と続いていくという、『永遠の真理』を実証している。

今回、久しぶりにこの映画を観て、新たな感激と新たな思考を得ることができた。



Sound of Music「Do-Re-Mi」1965年

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